先週末、勅使川原三郎さんの舞台に行きました。
神奈川芸術劇場。『呼吸? 透明の力?』という作品。
それが、とっっってつもなく、かっこよかったんです。
90分間、あっけにとられたまま、ずっと心臓がドクドクドク。
なにが起こるのか、なにが始まるのか、なにを見せられるのか。
ドクドクドク。
ライティングも演出も音楽もすべてかっこよく芸術で、人間も芸術で、
動く芸術。身体の能動的芸術。
ソリストの佐東利穂子さんも、なんてかっこいい踊りだろうかとほれぼれ。
コンテンポラリーの踊りというのは、もっと暗くて、
アングラなイメージが強いから、覚悟してたんだけど、全然違いました。
コンテンポラリーアートを生の舞台で見ているようなもので、
エンターテイメント性の高い芸術を見た興奮。
想像以上の以上の以上の以上。
たまたま、知り合いの知り合いが出演するというので(すごい!)
行けたんですが、とても素敵な出会いをもらいました。
それが、なにがすごかったって!舞台が終わってからで、
拍手にこたえるために、全員が手をつないで、
舞台後方から前方に出てくる動きを繰り返すんですが、
それはよくある舞台の最後のシーンですが、それが、
いつまでたっても、いつまでたっても、終わらないんです。
最初は、舞台が急に終わりポカンとした感覚で拍手をしていたわたしも、
あれだけ繰り返し繰り返しやれると、しだいに、
拍手する手も痛くて痛くて、疲れて、疲れて、でも拍手をやめられなくて、
さらに強い拍手をしないといけない状況においやられて、
それでもたたきつづけ、たたきつづけ、たたきつづけ、それではじめて、
わたしはもしかしたら、ものすごいものを見たんではないか。という気分になってくる。
それを知っているかのように、勅使川原さんは、その動きをやめない。
繰り返し、繰り返し、繰り返し。
そして拍手、拍手、拍手。
「ボクたちは、君が思う以上のことを見せたんだよ」
その繰り返しの最後には、そう言われたような気がしました。
そう思うようにおいやったんです。きっと。
だって本当のことだから、ね。
勅使川原さんは、「踊り」はしない、という。
わたしも「デザイン」しない、という目指す概念がある。
興奮さめやらず。です。